キリコのブログ

貧乏かつ機能不全家庭育ちのとある20代主婦

特別な出合い

 

 

高校生の時現代文Bで習った小川洋子さんの果汁という短編小説がある。

この小説のあらすじは話したこともないクラスの目立たない女の子と一度だけ食事に行くという話。

 

母親が病気で入院していて先が長くないから何かあったら頼るようにと、ほとんど縁がなかったであろう父親と会食する女の子と付き添いで来た何の関係もない男の子。

父親とその女の子は他人行儀な関係のまま食事を終えて黙って2人で何駅も歩いて帰る。

途中公園だったかその辺りで休んでる時に2人が幼かった頃は郵便局だったという閉鎖されている建物に女の子が錠前を壊して入る。

その中にはびっしり果物のキウイが保管されていて女の子はキウイを突然皮ごと食べ始める。

その1日から何年も経って新聞で女の子の父親が亡くなったというのを男の子は知り、何かのツテで女の子の職場に電話をかけ、あの1日ぶりに女の子と話す。男の子にあの日のお礼を告げて女の子は涙を流す。

 

 

この話の女の子と自分にどこか繋がる部分を感じて一気に果汁という話が好きになったあの時の衝撃を今でも感じます。

 

男の子が電車の中で女の子の声だけがはっきり聞こえるという描写でカクテルパーティー効果という言葉が黒板に書かれたことや、キウイを皮ごと噛む表現では女の子の若さを表しているという解説の授業の内容まで覚えています。

 

余談ですが、この授業をしてくれた50代くらいのふくよかな先生はピンクハウスの可愛らしい服装をよくしていて、果汁を思い出す時ほぼセットでこの先生のことも思い出します( ´ω`  )

 

 

この話をきっかけに小川洋子さんの小説だったら片っ端から読んでいきたいくらいハマった私は未だに読み続けています、、、

 

 

 

果汁の他にも何度も読み返すほど大好きな短編は、毒草、ダイヴィング・プール、臨時実験補助員、槍投げの青年、キリコさんの失敗、などなど...

 

 

 

 

日々の繰り返しで寂しいのやら悲しいのやら分からなくなった時。突然どこかへ行ってしまいたくなった時。その時の感情に合わせて1番しっくりくるお話が頭に浮かびます。

小川洋子さんの小説は誰も撫でてくれないちょうどの場所にクリティカルヒットして心のオアシスとなってくれています。