10年近く向き合ってきた私の不倫に対する価値観を書いていきたいです。
以前にも書いていますが、私の母は私が中学2年生から成人して少しくらいまで兄の友人と不倫していました。
結論を先にいってしまうと、私は不倫を否定も肯定もしません。不倫は悪だ!不倫をするやつはゲス野郎だ!と罵る人も見かけますが、私にとっての不倫はあくまで過程や結果と同じことだと思います。
なぜこう思うようになったかは「父」の存在があったからです。
父は母が不貞していることは明らかに分かっていたはずですが、そのことについて真正面から喧嘩することはなかったです。
正直、父がいくら母のことがまだ好きだとか子どもを愛しているとかそんなことを思っていたとして、どう取り繕ってもごまかせないくらい家庭は崩壊していました。一般的な家庭だったら離婚しか道はなかったと思います。
母は夜も帰らず、電話がかかってきたら父がいても出かけていったりとあからさまであったし、いくら経済力がないと母がいったところで父が離婚をきりだしさえすれば立派に成立する話だったのです。
その不倫相手と一緒にいた時に事故をして車を修理しないといけなくなったこともありますし、母は不倫相手の子どもを孕っていたこともあります。
ましてや、私が記憶ではっきりしてる時から母は料理をまったくしない洗濯物は溜まりに溜まってようやく回して毎回コインランドリーに乾かしに行き掃除もろくにしない働きもしない、そんな母親でした。
対して父はというと、ギャンブル好きなことと甲斐性がないことを除けばすごく真面目...というか植物のような人でした。
母に家事をしろだのは言わず仕事の愚痴を言わず毎日決まった時間に仕事に行き仕事から帰ってきたらお風呂の用意をして家族の料理を作る。ショッピングはしない。釣りと洋画とパチンコとタバコでできたような人間、、、
正直、父が母を問い詰めなかった理由は今でも分かりませんしもう聞くこともありません。
でも父も当時は確かに怒っていました。
負い目があったので母を責められなかったのか、母に対して執着心があったのか、ただ臆病だったのか、これは本当に分からない。
結果として仲良しとはいえなくても両親は未だに狭いアパートで2人で暮らししていて、私が帰省する時は普通にみんなで父の作ったご飯を食べてみんなで海にでかけたりもしています。
父の選択は例え歪だったとしても、一つの家族としての形をみせてもらったような気がしています。
家族として母の行動は完全にバトンを明後日の方向に投げ捨てていましたし、良くも悪くも父がそれを拾ったから今の私になっているのだと思います。
中学生の時、答えを出さないのは父の弱さだと思いました。
ですが、今となってはそれも私の家族の形だったと受け入れています。
浮気や不倫というのは環境やその人の器量にも左右されるでしょうし、現実はおとぎ話ではないのでよくある話です。
許す許さないの判断は本当に人それぞれですが、生涯添い遂げる気でいるのなら不倫は長い人生の過程でしかないのだといきつきました。
不倫に寛容な以上私も場合によればするのかといわれたら、100%とは言い難いもののまずしないと思います。
言い寄ってくる人がいたとして、その相手は自分や配偶者や子どもの人生を変えてしまうかもしれないということまで考えない自己中で無責任な人間ではないだろうか
そんなやつについて行った所で上手くいかなくなることは目に見えていて、大事にはされないでしょう
でも私は不倫を否定しません。自分の好きなように生きていいし親であれなんであれその権利を誰もがもっていると思います