キリコのブログ

貧乏かつ機能不全家庭育ちのとある20代主婦

毒家庭育ちあるある?

 

 

自分がやらかしてしまって案外誰かが助けてくれた時ふと世の中私が思っているほど悪い人ばかりなのではないかもしれない、、と思うことがあります。

 

毒家庭育ちだからなのか分かりませんが、私は基本的に人を信用できません。

 

身内ですら私利私欲のために利用する人たちばかりだったのにどうして他人が良くしてくれるだろうと思ってしまうのです。

もう今更何とも思わないですが身内の誰1人心から好きだといえる人がいない

そんな環境で育ったからこそ私は人を信じられないのだと思っています。

 

話は逸れますが私の両親は断ることができない人だったのでいつも身内に利用されていました。

私も両親に似てか断ることが苦手です。

例えばパートでこの日用事があって休みたいんだけど、代わってくれない?この日空きが出て入ってくれない?なんて言われると、嫌だなと思いつつ用事が特になかったらイエスと答えてしまう。

仕事場の人や友達の友達、義理の家族みたいな微妙な間柄の人に対してだとすこぶる躊躇してしまったり罪悪感を感じてしまう。

でもこれをしてしまうと何でも引き受けてくれる人になってしまいやっかいな人を寄せつけるきっかけにもなりかねない。

人を信じることは難しいが、せめて親の二の舞にはならないように断れる人でありたい、、

 

人を信じられないという思いから始まって、なぜか断れる人でいたいというのに着地した話でした( ˘ω˘)

 

子どもの癇癪

 

 

久しぶりに娘の激しい癇癪がありました。

娘と近所のスーパーに行った帰りに家の方向に行かず、あっちに行きたいこっちに行きたいと言い車も通っているのも構わず勝手にウロウロ、、、

このままじゃ買い物バッグを持ったまま遠くへ歩かされかねないので抱っこを求めてきたタイミングで家の方向に向かおうとしたら大声で泣き叫んでのけぞって食パンを道に放りなげる始末。

車通りも多い上近所のコンビニにはいつもサラリーマンがタバコを吸ってたむろしてるので私と娘は一気に視線を集めました^^; 

 

とりあえず力ずくで娘を家に連れ帰ったのですが、その後も玄関に這いつくばって泣き喚く娘、、

こういう時、私も一瞬カッとなっているのでもういい!となって全部投げ出してソファにふんぞりかえったりします、、、。

 

 

でも以前もこうゆうことがあっているので、一応私なりの対応は決まっています。

少しの間投げやりモードになるんですがこのままじゃダメだと落ち着いて、娘が泣いている玄関からリビングに繋がるドアを開けてそこに座りこんで娘と向き合いました。

まずは自分の悪かった点を娘に言って謝ります。

スーパーだけ行くつもりで外に出たし荷物が重たかったから早く帰りたかった。

また夜パパも帰ってきたらみんなで散歩行こう。

○○はあっちに行きたかったんだよね。などなど

 

また散歩に行こうと何度か言ったので、それに反応してかだんだん癇癪も治ってきました。

そして最後は玄関から私の方に走ってきて私も娘を受けとめてしばらくハグしていました。

謝ったり子どもの気持ちを代弁して抱き合ってるうちに娘はそのまま寝落ち。

 

 

癇癪の度思うのですが、癇癪が治った時子どもが少し成長したように感じて感動すらします。

伝えれば2歳の子でも分かってくれることが嬉しくなりました

 

大きくなるにつれてぶつかる内容も変わってくるのだと思いますが、こうやってお互い成長していくんだなと思った出来事でした

 

 

下着の数

 

 

去年から始めたのですが私は年末に肌着5着、下着6セットを購入して年始に新品をおろして1年間使います。

そして、年末新しい物を購入して古いものは全部捨てるのです。

 

 

この縛りで約1年過ごしてみて個人的に気づいたことは

「1年間で女性に必要な最低限の下着の枚数は6」

だということでした(゚ω゚)

最初5で考えていたのですがだんだんキツくなってきて途中で1セット買い足しました。

男性だったら5でも頑張れると思うのですが余裕を持たせるのであれば性別関係なく7がいいと思います。

サニタリーは4あれば過ごせます。

 

6セットを1年間着回すわけなので雑に扱うと痛みも早いと思い下着はそこそこ良いメーカーのものを使ってショーツはその日に手洗い。ブラも最初は手洗いしていたのですが、さすがに面倒が過ぎるのでネットに入れて洗濯機で洗った後ワコール推奨の干し方で型崩れをなるだけ防ぐように気をつけました。

肌着は数年前からユニクロのキャミソールを使用しているのですが、毎回乾燥にかけて1年間使ってもさほど痛みを感じない強度が推しです。

(肌着は2年使おうかな、、)

 

 

下着に限らず、靴下や洋服もだいたい5〜7がストレスフリーな数なのではないかと思う。

だいたいの数を決めておくと余分なお金を使わずに済む上、所有と管理の手間が省けて精神的にも家計にもいいこと尽くしです( ˘ω˘)

多く持たないことで自然と持ってるもの全部がお気に入りで揃えられます。

 

来年の下着を考えるのが楽しいこの頃です

 

過ぎ去った優しさ

 

 

 

高校3年生の時職員室の別室で担任の先生と話し合いをして大泣きしたことを思い出す。

これからの人生でもあるかないか分からないくらいの人前で泣くということだった

 

 

数日後、廊下で現代文の先生が小走りで近寄ってきてひっそり

「なにか悩み事があったら話してね」

と言われた。

小さな職員室で薄い壁で仕切られただけの別室だったので私の声が聞こえていたのだと思う

 

定時制高校は変わった生徒がよくいる。単なるバカ、いじめられて不登校だった人、障害があって普通の人と上手く関われなかった人、その両方、なぜ定時制なのか分からない人、

私は仲の良かった1人の友人にしか話しをしていなかったので、先生や他のクラスメイトからしたらなぜ定時制なのか分からない類の生徒だったと思う。勉強もそんなにできなかったけど、、

 

 

当時私は話さなかった。

でもあの時の優しさが今でも沁みてくる時があります

地元の海を思い出します。

f:id:nnnnn_75:20221126085854j:image

秘密の場所

 

 

小学生の時に見つけてから数年に1回は行っている秘密の場所があります。

ふと行きたくなったのでブログを見てくれてる人がいたら共有したいです。

 

昔その場所の近くにほんの数ヶ月だけ住んでいました。

坂の上にある閑静な住宅地で立派な一軒家ばかり建っています。

私が小さい頃夜は幽霊が出るという噂のあった大きめの公園や野球をするグラウンドなどがあります。

 

 

メインの道から一歩外れ、この辺りに知人がいるか住んでる人じゃなかったらまず入る機会がないのではと思う細めの道を入っていきます。


f:id:nnnnn_75:20221114125950j:image

右側には水が流れていて歩いているだけで癒されます。

 

進んでいくと道の途中の左側に道路に下りられる階段がでてきます。階段を上り下りしなくても先の道に進めるのですが、私はあえてこの階段を下ります。

なぜなら...この階段素晴らしすぎる!!

下りたら道路を渡ってまた階段を上るのですが上りの階段の右側が小川?のようになっているんです。

f:id:nnnnn_75:20221114125946j:image

(痺れるっ!!)

 

めちゃくちゃ感動しながら階段を後にして少し歩くと周りは一軒家ばかりの間にほんとに小さな公園が出てきます。


f:id:nnnnn_75:20221114125933j:image

真ん中に噴水があったのではと思うほど、いつ行っても大概水が溜まっていて、公園の端にはガーデンテーブルとチェアが置いてあります。

f:id:nnnnn_75:20221114125937j:image

このレンガっぽい配置の石もたまらんです。

 

ふと行きたくなる場所の一つでした、、

 

 

手が好き

 

 

人の手ってなんで妙な魅力があるんでしょう。覚えているに小学校低学年あたりからすでに人の手が好きだった。もちろん自分の手も。

 

手はその人の先っぽのように感じます。

 

私の1番仲のいい友人の手は女子にしては大きい手で指も長い。動きを表現するならカクカクしているという感じ。

父の手は漬物をつけたり包丁で切る作業を長年してきたせいか硬くて丈夫。形は四角い

母の手は血管が透けるような皮の薄い手で手の平も指も形は長細い。兄の手もそんな感じ。

 

妊娠6ヶ月まで働いていた職場の同い年の女の子の手は太っているわけではないのだけど骨っぽさのない肉付きのいい手でした。

 

家電量販店で対応してくれるような男の人の手は大概青白くて細い気がします。

 

 

私が出会った中で1番好きな手は、やっぱり旦那の手です。

出会った頃の旦那の手は形や大きさは元々逞しかったのですがまだ綺麗な手でした。でも今は、パッと見ただけで分かるような働き者の手です。

細くて長くて美しいような手ではなく大きくてゴツゴツしていて手の平は重い物を持つせいで常に皮がどこかしら剥がれています。その皮すら厚い。

でもどんな手より大好きです。

 

 

初対面の相手だと顔を見て話しづらかったりするので、手からその人の人柄を予想してみるのも面白いです。手には色々な情報が詰まってたりします

 

ガサツそうな人が案外細やかな作業をしているかもしれないしなんの魅力のなさそうな手でも箸を持ってみたら綺麗な仕草をするかもしれない

 

不倫のあった家庭育ちが思う不倫

 

 

 

10年近く向き合ってきた私の不倫に対する価値観を書いていきたいです。

 

以前にも書いていますが、私の母は私が中学2年生から成人して少しくらいまで兄の友人と不倫していました。

 

 

 

 

結論を先にいってしまうと、私は不倫を否定も肯定もしません。不倫は悪だ!不倫をするやつはゲス野郎だ!と罵る人も見かけますが、私にとっての不倫はあくまで過程や結果と同じことだと思います。

 

なぜこう思うようになったかは「父」の存在があったからです。

 

父は母が不貞していることは明らかに分かっていたはずですが、そのことについて真正面から喧嘩することはなかったです。

正直、父がいくら母のことがまだ好きだとか子どもを愛しているとかそんなことを思っていたとして、どう取り繕ってもごまかせないくらい家庭は崩壊していました。一般的な家庭だったら離婚しか道はなかったと思います。

 

母は夜も帰らず、電話がかかってきたら父がいても出かけていったりとあからさまであったし、いくら経済力がないと母がいったところで父が離婚をきりだしさえすれば立派に成立する話だったのです。

その不倫相手と一緒にいた時に事故をして車を修理しないといけなくなったこともありますし、母は不倫相手の子どもを孕っていたこともあります。

ましてや、私が記憶ではっきりしてる時から母は料理をまったくしない洗濯物は溜まりに溜まってようやく回して毎回コインランドリーに乾かしに行き掃除もろくにしない働きもしない、そんな母親でした。

 

対して父はというと、ギャンブル好きなことと甲斐性がないことを除けばすごく真面目...というか植物のような人でした。

母に家事をしろだのは言わず仕事の愚痴を言わず毎日決まった時間に仕事に行き仕事から帰ってきたらお風呂の用意をして家族の料理を作る。ショッピングはしない。釣りと洋画とパチンコとタバコでできたような人間、、、

 

 

正直、父が母を問い詰めなかった理由は今でも分かりませんしもう聞くこともありません。

でも父も当時は確かに怒っていました。

負い目があったので母を責められなかったのか、母に対して執着心があったのか、ただ臆病だったのか、これは本当に分からない。

 

 

 

 

 

 

結果として仲良しとはいえなくても両親は未だに狭いアパートで2人で暮らししていて、私が帰省する時は普通にみんなで父の作ったご飯を食べてみんなで海にでかけたりもしています。

 

 

父の選択は例え歪だったとしても、一つの家族としての形をみせてもらったような気がしています。

家族として母の行動は完全にバトンを明後日の方向に投げ捨てていましたし、良くも悪くも父がそれを拾ったから今の私になっているのだと思います。

中学生の時、答えを出さないのは父の弱さだと思いました。

ですが、今となってはそれも私の家族の形だったと受け入れています。

 

浮気や不倫というのは環境やその人の器量にも左右されるでしょうし、現実はおとぎ話ではないのでよくある話です。

許す許さないの判断は本当に人それぞれですが、生涯添い遂げる気でいるのなら不倫は長い人生の過程でしかないのだといきつきました。

 

 

 

 

 

不倫に寛容な以上私も場合によればするのかといわれたら、100%とは言い難いもののまずしないと思います。

 

言い寄ってくる人がいたとして、その相手は自分や配偶者や子どもの人生を変えてしまうかもしれないということまで考えない自己中で無責任な人間ではないだろうか

そんなやつについて行った所で上手くいかなくなることは目に見えていて、大事にはされないでしょう

 

 

 

でも私は不倫を否定しません。自分の好きなように生きていいし親であれなんであれその権利を誰もがもっていると思います